ありがたいお言葉2

【小倉謙さんお言葉】
~2012年2月分~
 
小倉 謙
2012年2月29日 ·
物事を同一視することは好みませんが、 自分を大事にする、 家族を大事にする、 友達を大事にする、 同僚や上司や部下を大事にする、 全人類を大事にする、 動物や植物を大事にする、 地球環境を大事にする、 というのは、ほぼ同義語でしょう。
これら一つでも欠けてしまうと、人生に於ける幸福の度合いは下がり、生存に対する確かさが失われていきますから…。


小倉 謙
2012年2月29日 ·
この地球上にはかなりの危機や脅威が存在し、私たちは常にその危険性にさらされている…と言われています。
本当でしょうか?
 テロ
 戦争
 ウィルス
 経済破綻
 事故
 政治の混乱
 などなど、、、、、
これらの危険は事実をはるかに上回って誇張されていませんでしょうか?
たとえば新型インフルエンザ…。 N1H1(これ以上ないほどの弱毒性)の意味も知らずに、危ない危ないといっていた3年前…あれはいったいなんだったのでしょう。 流行っている、流行っていると毎年毎年同じような報道が繰り返される中で、「今年は特に…」
危機や脅威を捏造することで儲けている連中の意図というのは極めて危険であるといわざるを得ません。
また、そうした意図の発信元が実は “極限られた存在” であるというのも興味深いところです。
危ない危ないといって 「誇張された危険」に対して、むやみに巨費が投じられているといことに・・・


小倉 謙
2012年2月29日 ·
最も守られなくてはいけない人というのは、実は 「仕事を創造する人」 であるべきです。
この人数は決して多くはありませんが、多くの交換価値のある生産物(含むサービス)を生み出す源となり、雇用を生み出す源となり、貧困を打破する源となる人であり、社会的価値の非常に高い人と言えます。
富裕者も二通りあります。 一つは創造した結果富裕者となった人、 もう一つはぶら下がった結果富裕者となったもので、 両者は個人の社会的価値に於いては全く異なるのです。
社会はとかくこの両者を混同し、価値ある人々に対して 「富裕層」 と一くくりにして両者を同じ扱いの中に入れ、羨望の的にしたり、小突いてみたり、悪人に仕立て上げたり、金づるくらいに扱ったり、懲罰的とも思える課税さえして、価値ある人の力を奪ったりします。
確かに「仕事を創造する人」の所有する能力は一般的に比べて高いと思います。 しかし、「制度にぶら下がる人」との絶対的違いは「支援を受けるに相応しい交換価値以上のものを創り出している」かどうか・・・というところでしょう。
「仕事を創造する人」 の多くは、受けている支援(お金・信用・協力など)を質・量ともにはるかに超える貢献をしています。これは、こういう人たちの創造力の恩恵を私たちはどれほど受けているのか・・・ということを観察すれば一目瞭然だと思います。
一方で「ぶら下がっている人」は、所有する能力はありながらも、それは不完全な交換価値や存在しない交換価値との交換によって得たものであり、事実上犯罪に等しい場合もあるといえます。 これは生存的ではありません。
安定はしていないかもしれないけど、少なくとも当座の仕事があるのは「仕事を創造する人たち」のお陰でもあるわけです。その人たちの恩恵に報いるだけの行動を十分に果たしているのか・・・と、思わずにいられない事実も多々目にします。
仕事・・・これは個人の自己実現の一環であり、かつ社会に於ける自己の位置を確かにするための手段であり、他人からの支援を受けるに値する価値あるものを作る行為です。そして、必ず誰かが創ったものです。
仕事を創造することに興味さえない人、仕事をしたくない人、小さな仕事にしか責任を持ちたくないという人というのは、どうしても常に受身になりますから、不安を抱えることとなります。社会(特にマスコミ)はとかくここに悲哀と同情を注ぎ込みます。しかし、大事なことは同時に「仕事を創造する人」を守ろうという意図を持ち続けることです。
誰しも「より大きな仕事を創るんだ!」という意図を持つことくらいは出来ます。でも、それを現実に実行する人という人間の価値を社会はもっと大事にしなくてはいけないでしょう。
彼らを痛めつけることは、結局のところ助ける人を失うことを意味します。これこそ、負のスパイラルであると言えるでしょう。


小倉 謙
2012年2月26日 ·
何もしなければ、何も起きない… いいえ、違います。
何もしなければ、たちまち衰退し、死ぬか滅亡する… です。
私たち一人一人が生きている意味は、そこで何かをし、何かの影響を与え続けることです。
与える影響は「素晴らしいもの」であるべきなのは言うまでもありません。
価値ある人生の創造主はまさに自分です!


小倉 謙
2012年2月25日 ·
やっぱり、理解が早くて的確に行動する人が一緒だと楽しいです。
自分もそう居られるようにしたら他の人も喜んでくれそうだ。


小倉 謙
2012年2月25日 ·
30年経った今もなお同じことを言っていますね。
偉い学者やシンクタンクが対策に…と掲げ、そこに巨額の予算を投入させ国に実行させてきたことはなんだったのか…。
死に金とはまさにこのこと…。
http://www.youtube.com/watch?v=Q3CTL9cyHFY&feature=related


小倉 謙
2012年2月25日 ·
「誤解を恐れずに言えば、精神病棟とは『人間の捨て場所』なのだ」
今さらもう、「信じられない」と驚くようなことではありませんが。こんなこととは知らなかったと、ため息をつくような話だったというわけではないのですが。やっぱり悲しくてつらくて、読んでいて時々涙がこみ上げて何度もその活字が見えなくなりました。これは、特別なことではない・・・。どの病院でもあたりまえに起きている事なんだ。そう、氷山の一角・・・。あたりまえに?こんな「あたりまえ」があっていいものか。こんなあたりまえを、放っておくことが許されるのか。
著者は現在60代。40年以上の月日を精神病院で過ごさざるを得なかった男性。なぜ?運命というにはあまりにも理不尽です。はたしてそんな必要があったのか。その文面から察するに著者は様々な才能に溢れた、想像力豊かな優しい人なのだと思います。過去の人生の大半を社会から隔離された場所で過ごしたというのに(現在も)その洞察力や人間の本質を見抜く眼差しの鋭さに敬服。病状を含め、自己を冷静に振り返って綴るその文章は透明で美しく、真に正直な人柄が偲ばれるのです。この人…がなぜこんなに長い間・・・。
随所に織田淳太郎さんの解説。精神医療、またその施設の歴史がよくわかります。結局患者はやはり金のなる木だということが。わかっていることとはいえ、やはり怒りがこみ上げます。どちらが・・狂っているのでしょう。「精神を病んでいる」のはいったい誰なのか。本に登場する医者をはじめ、彼をとりまく人物を想像するとむしろ著者こそが最もまっとうな人間ではないかとの思いを強くします。そしてやはり、どうしてもこの思いにたどりつくのです。そもそも、精神疾患など、いったい何を根拠に誰が決めるのか。患者を囲い金儲けに奔走する医者は、はたして「正常」なのか?患者に対する行為は「正常」な人間がやれることなのか?つくづく精神医学とは、人々を「選別」するために存在するものでしかないと思います。この実態に気がつくことができれば簡単に近づくことはしないでしょう。しかし、自ら本気で知ろうとしない限りなかなかわからないと思います。
「生きにくさ」「悩み事」などの相談場所として、「良い睡眠」を提供してくれる医療などと信じてこの学問(学問のような顔をしたウソ)と安易に関わる事はひとつボタンを掛け違えると人生を破壊させてしまう。そのことを、まだ多くの人は知らないしあっちでもこっちでも、「安易に関わる」ことを勧められる。今の日本では自分には関係ない、と言える人などいないのです。この本に書かれたこともどこか遠い場所の話ではない。他人事ではない。昨日も今日も明日も、すぐそこでおきている現実。たくさんの場所で。たくさんの人達が。人間の尊厳を奪われている。ひとりでも多くの人に伝えたい現実が書かれた本でした。
Amazon.co.jp: 精神病棟40年: 時東 一郎, 織田 淳太郎: 本
http://www.amazon.co.jp/…/4…/ref=sr_1_1/376-0392889-5846840…


小倉 謙
2012年2月25日 ·
日本人に仕掛けられた 「無力化への道」 という罠
【精神性を低め、人間個人の価値を低下させる】
 物質的豊かさを幸福の主要な指標とする → 道徳(修身)教育や宗教教育を排除し、精神性や倫理に対する訴求を弱める
 日本がこれまで上手くやってきたことの否定 → グローバル化、世界標準などという日本の標準を下回る基準を押し付ける
 人間は動物に過ぎない、人間も物であるという定義を植え込む → 精神性そのものの否定
 
【家族関係や人間関係の軽薄化や対立を生み出し、相互の信頼感を低下させる】
 家族関係の絆を弱めたり子供の道徳意識を低下させる → 女性解放や経済的援助の必要性を見せ掛け、育児期間中の女性でさえ家庭から引きずり出し、子供を孤立化させる。孤立化した子供に誤った道徳観を植え付ける
 
 労使の対立構造があることを見せ掛け企業の連帯感を弱める → 労働組合の創設させ必要以上の見せ掛けの対立軸を作る
 競争の概念を主体とした教育により共生の意識を弱める → 偏差値や受験競争で隣の子はライバルという見せ掛けを植え付ける
 「結果平等」 という概念を押し付ける → 正しいものと誤ったものに対する正当な評価を抑制し、誤りを導入させ失敗に至らす 
 
【生産意欲を削ぎ、活力を奪う】
 格差是正を標語にして生産力を弱める → 「農地改革」 「超過累進課税」 「税や社会保険料の源泉徴収化」で持てる者の能力を弱め、生産活動に必要な資産や再生産に回せる資力をはぎ取る
 「金融」を経済の頂点に立てる → 実体の経済活動よりも、カネの調達に注力させることで、実体経済活動の価値観を低める
 経済を複雑なものに見せ、個人ではどうしようもない…と見せ掛ける → 定期的に危機を起こし絶望感や無力感を生み出したり、より関係性の薄い分野での危機を演出する
た。そのようなコンディションに追い込まれていましたから。日本も戦争をしかけて世界中に領土を拡張するという考えが理想のように暗示をかけられていました・・・


小倉 謙
2012年2月24日 ·
しばしば 『何事もバランスが大事』 ということを耳にします。
さて、これは正しい(真実)でしょうか?
仮に正しさと誤りが、50:50だとしたら、その人の生存はかなり危うい結果となるでしょう。
他人を傷付けたり、抑圧する意図に基づいた人がこの言葉を口にしたとしたら、どのような結果を招くのかは容易に推測がつきます。
こうした誤りや邪悪な意図から発せられた『バランスが大事だから…』という言葉を、僅かながらであれ受け入れる必要性などはありません。
正しいものと誤ったものとの間でバランスをとることは、ガソリンに水を混ぜて車を走らせるようなもので、物事の本来的な目的の達成を妨げるだけのことにしかなりません。
失敗も、逸脱も、怠惰も、悪事も、狂気もゼロに近いほど良いのです。ただそれだけのことです。
誤りに門戸を閉ざし、正しさのみを追究する姿勢…大事です。


小倉 謙
2012年2月24日 ·
決断しないと時間だけが過ぎて行き、結局なにもしない空虚な人生で終わってしまうでしょう。
決断してやる、決断してやる、これを素早くでき、このサイクルをたくさん起こせる人は、他人の何倍ものことを成し遂げることが出来ます。
不決断が続くと何も出来ないまま人生を終えてしまうこととなります。
決断がないと鉛筆一つだって動かすことはできませんから…。


小倉 謙
2012年2月24日 ·
自らの人生に最も影響を与えているのは、間違いなく自分です。
いくら他人にその責を押し付けても、自らがその状況に向き合い手を打たなければ、その状況に変化をもたらすことはありません。
自分に良くない状況が起きているなら、必ずそこには自らの不味い行い(不正、怠惰、挫折、やりっ放し、責任放棄、失敗、破壊行為、裏切り、騙し、盗み、不品行など)があるはずです。
そこに向き合え、取り組むことが出来るる人にこそ良い人生が訪れるというもの…。


小倉 謙
2012年2月24日 ·
何かを知って物事に当たるのとそうでないことの間には結果として大きな差が生じることは明白です。
この問題の根本は、自分が誰で、何処から来て、何をしに、何処へ行く存在であるのかを知る、ということになるのでしょう。
この問題に取り組んできたのが宗教であり哲学です。
現代では余りにも日々の問題を眼前に突き付けられたり、非科学的と蔑まされたり、という状況でこうしたことに目を向けることが出来なくなっています。
だからこそ、自ら進んでこうした時間を手にすることが一層大事になっています。


小倉 謙
2012年2月23日 ·
会社とは – …
会社…商行為(商事会社)やまたはその他の営利行為(民事行為)を目的とする社団法人。株式会社、有限会社、合資会社、合名会社がある(広辞苑より)。
商行為…営利のために行われる行為で商法が定めるもの(広辞苑より)。
どうやら、会社や商行為に関する「定義」が社会に衰退と混乱をもたらしているようです。
会社の真の目的は営利ではない。ということです。
会社とは、交換可能な価値ある最終生産物を創造する目的で人々が集まり組織化されたグループです。
その創造したものが知らされ、受け入れられる程度に応じて、なんらかの「助け」と交換されるのです。
営利(カネ)を主目的とした会社は、自ずと交換されるものを如何なる手段でも手に入れる反社会的グループとなります。
決して長期の生存は得られません。
会社に関する定義の誤りは非常に問題大です。


小倉 謙
2012年2月23日 ·
他人に良い影響を与え続けていれば、文句もボヤキも怒りも出ない。
人に良い影響を与え損ねたとき、人に失敗をもたらしたとき、助け損なったとき、人は批判的な文句を言い、ボヤき、不平を言います。
「私はもっと助けたいのに!」とは言わないものの…。


小倉 謙
2012年2月23日 ·
自分の身体に対して 「役割」 を与えていますか?
人生の目標や目的を達成するために、身体の状況を適合させる必要があります。
まず身体に対して「役割」を与えてあげなくてはいけません。…
「おい身体よ、あれを達成するために、こういう働きをしてくれ。そのためにはこういう身体でいてくれ」という具合に!
その役割が明確であればあるほど、それに向けた必要性が上がり、コンディショニングに対するマインドが上がってきます。
それに伴い、実践(トレーニング、コンディショニング)の効果も上がってきます。 役割の達成…という方向に向けて…。
きっと身体もあなたも喜べることでしょう。


小倉 謙
2012年2月23日 ·
これ以上人生が悪くなることはない。
問題とそうでないものを見分けられる。
自分は誤りを正せるんだ。
自分は同じ誤りを繰り返さないんだ。
自分は本当に良い人なんだ。
自分は本当に正しくあり続けることができるんだ。
……… この確信をわずかながらにでも得られたら、人は相当幸せでいられるはずです。


小倉 謙
2012年2月23日 ·
目にした光景に美と笑顔と活力に溢れていて、「あなたと一緒にいるだけで、本当に幸せです」って絶え間なく言われたら、心豊かな人生です。


小倉 謙
2012年2月22日 ·
雑誌「新潮45」の最新号で、「本当は怖い抗うつ剤」という記事がありました。
浜松医大名誉教授であり、生理学者の高田明和氏が自身の体験も踏まえて抗うつ薬の怖さを説いています。時差ボケで苦しみ、医師に相談したのが運の尽き、ベンゾとパキシルを出され、大変な目に遭ったというお話から始まり、医学論文等を参考に、抗うつ薬の有効性や安全性に疑問を投げかけています。タイトルに「本当は怖い」とあるのは、その怖さが世間に認識されていないという裏返しです。というのは、一部の精神科医が散々嘘の情報を流してきたからです。本当に今まで散々嘘をつかれてきました。「安全性が高い」「重篤な副作用はない」「依存性はない」「薬を飲めばうつは治る」・・・キリがないです。
所詮、抗うつ剤は麻薬ですから…。 …
(麻薬および向精神薬取締法の規制対象薬物です)


小倉 謙
2012年2月22日 ·
共産主義とは – 共に貧乏で居よう。抜け駆けは許さない。抜け駆けしたら強制収容所行きだ。
共に想像的な創造をしないでおこう。抜け駆けは許さない。抜け駆けしたら強制収容所行きだ。
共に所有しないようにしよう。抜け駆けは許さない。抜け駆けしたら強制収容所行きだ。
聞き分けの良い、お人好しの国民がこうした約束を守るのみで、一方、こうした合意の素案を作った張本人(たち)の振るまいや状態は実際どうなのか…。
共産主義や社会主義が「俺の物は俺のもの、お前の物も俺のもの」という思考に駆られた人間が、その正体がばれぬよう、国民の財を我が手に集めるため、人の同情や追従の感情に対する刺激‐反応のメカニズムを利用した詭弁に基づく思考に過ぎません。
ちなみに全体主義とは目的や動機はほぼ同じながら、「怒り」の表現によって達成しようというだけの違いでしょう。
いづれも破壊的です。


小倉 謙
2012年2月19日 ·
近年のリーダーたちが最も直面していないこととは、国民(市民)に対して 「もっと一生懸命働いて、良いものをたくさん作ってください」 「もっと努力してください」 「もっともっと頑張ってください」  ということでしょう。
近年では仕事をするのは人生の副産物であり、かつあまり良いことではなく、仕事をしなくてもいい人生が良いという合意が形成されています。
しかし、この合意こそ社会が衰退し、個人の生存を危うくする原因です。

で、こうしたことに直面しないリーダーが多くなれば、一部の堕落した人にとってはこの上なく都合の良い社会となり、かつ周囲の人々もどんどんそうした堕落に合意してきてしまっています。
私たちはなんのために勉強をし、学んでいるのでしょう?  その主な目的は良い仕事をするためではないでしょうか…?
仕事が多いことと仕事がないことを比べたらどちらが安堵感を得られるでしょうか?
無償であれ、有償であれ、社会に貢献するのは主に仕事を通じて行っていませんか?
仕事をしないでもいい人生… というのは実に不幸な人生です。
「社会システム」 「仕組み」 「制度」 ばかりに解決策を求めても決してうまくいくことはないでしょう。 


小倉 謙
2012年2月18日 ·
本当に出るのか、出ないのか…。
お化けと年金。


小倉 謙
2012年2月18日 ·
スローライフとか、ロハスとか、 何故定着しないか…
人間の本質に相反するからでしょう。
人生の中でより多くのことを成し遂げ、より多くの貢献をし、より多くの生産をすることが善であり理性に沿ったことであり、その達成こそ真の快楽であり、そこに向かう過程の中に幸福が見出だされるからに他なりません。
酒とバラの日々を過ごし、ただのんびり時間を費やすだけの人生は真の快楽ではないことを、私達は理性という潜在的意識の中で知っています。
そして、多くの日本人はこの理性に従順であったからこそ、多くの成功と発展を成し遂げてきたのでしょう。
バカンスのために人生があるのではなく、より良い仕事を成し遂げたご褒美として自らに授けるのがバカンスです。


小倉 謙
2012年2月18日 ·
多くの女性を愛した人間よりも、 たった一人の女性だけを愛した人間のほうが、 はるかに深く女というものを知っている。
人間を自由にできるのは、人間の理性だけである。 人間の生活は、理性を失えば失うほどますます不自由になる。
  ~ レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ (ロシア~)
その通りだと思う。


小倉 謙
2012年2月17日 ·
「薬を10錠飲むよりも、心から笑った方が、ずっと効果があるはず」 
  ~ アンネ・フランク(1929-1945年)。
ユダヤ系ドイツ人。収容所で永眠。「「アンネの日記」の著者。


小倉 謙
2012年2月16日 ·
鶏と卵の議論のようになってしまいますが、くだらない番組やどうでもいいことばかりの報道など・・・全く見ているだけでも腹が立つようなものが多くて嫌になります。
こういった番組が歓迎されているということもその背景にあるのだと思います。
日本人の精神の高邁さや高潔さというものが著しく低下していることに、危惧を覚えてしまいます。
こんなことを言っているこのときも、「シモネタ」や「下品」「人の価値を貶める」ことにニヤニヤ笑いながら見ている方が増え続けているのかと思うと・・・・・。
低い民度に迎合しないマスコミ・・・期待してもだめなのか。。。


小倉 謙
2012年2月16日 ·
教育の場に、やたらと余計なものが介入してくることで、先生たちが担うべき本当の仕事の機会が奪われている現状を目にします。
いじめがあれば学校のせい、
不登校があれば学校のせい、
勉強の遅れも学校のせい、
発達の遅滞も学校のせい、
犯罪の多発も学校のせい、
 かつては問題にさえなっていなかったことが次々に学校に押し寄せ、本来、本人や家庭が担うべき責任を学校に転嫁されていることは、子供たちの教育に良い影響を与えるはずがありません。
 また、子供本人に責任がないわけでもなく、むしろ子供たちが自分で担うべき責任を増やしていかなければなりません。20歳になったら、「はい今日からあなたたちには責任が生じます」、なんて言って「分かりました」と出来るはずがありません。
 個人が 有能になること、人の役に立つ人間になること、成功すること、繁栄すること、これらを実現するために最高責任者は “その人自身” です。
 いつまでも、無能でいること、不幸でいること、人に世話ばかりかける人間でいること、失敗を繰り返すこと、衰退し続ける… そんなことは権利でもなければ責任でもありません。 それは権利(Right)の放棄と無責任以外のなにものでもありません。
先生たちも自分が担うべき仕事を全うするため、邪魔や反対は押し返すこともまた先生たちの責任であると言えます。頑張ってほしい。


小倉 謙
2012年2月16日 ·
株価だの、為替だの、債券市場だの、商品先物だの、デリバティブだの…、一部の金融工学業界の連中のお遊びに翻弄されているだけ時間と労力の無駄。
自らの生産を起こし、自らの価値を高めることに勤しんだ方が自らの生存を高めることができます。
日経新聞読んで眉間に皺を寄せてあーでもない、こうでもない、なんて悩んだ振りしているよりも、外に出て自分が起こすべき生産に磨きをかけることの方が価値あることです。


小倉 謙
2012年2月16日 ·
あなた(誰か)の幸せのためにも自分が幸せでいる。
わずかながらにでも不幸でいて良いことなどありませんね。


小倉 謙
2012年2月16日 ·
自分の幸せにとって必要なんだよね、他人の幸せが…。


小倉 謙
2012年2月15日 ·
「責任」とは人権の一つと世界人権宣言の中に規定されています。
で、これこそがその他の人権を守り、向上させるために最も重要なんですって。
確かに、責任とは自らの生存を確かにしたり幸福実現のために最も大事な要素です。
無責任に成り果てた人を見ていて、生き生きとしていたり、幸せそうな人っていないですもんね。


小倉 謙
2012年2月14日 ·
「人間の性格は環境によって構築される・・・」
「環境に適応することが人間にとって重要だ・・・」
上記は私が大学で心理学を学んだとき、“教授”が言った言葉です。
人間は確かに環境から影響を受けます。確かに人間の身体は気温が22~26度程度の環境からはずれるだけで変調を来たします。有害な物質が体内に入れば病気になります。食物が食べられないと身体は枯渇し死に至ります。
しかし、22~26度以外の気温は地球上でも季節によってはかなり存在します。これが動物ですと住む地域が限定されたり気温の変動によって絶滅に瀕することもあります。 しかし、人間はどうでしょう・・・。 服を作り出し着ます。しかもその服は美的なセンスをも備えていますし動作の目的によっても違う機能を果たします。 冷暖房を考え出し気温の変動を克服してもいます。 住む地域を変える人もいます。 移り住んだ地域で新しい家を建てますが、またそれがきれいな建物だったりするのです。 CO2を減らそうともします。 
これは “適応” でしょうか・・・。 これは適応ではなく、人間が本来的に持ちえている能力、それは即ち “創造” です。
人生を観察してみれば分かることですが、人間は一瞬たりとも創造をやめることはしません。それが人間です。
創造にも小さな破壊が伴うこともありますが、更に大きな創造へと向かいます。 
“適応すべし” この言葉が、どれだけ人間を抑圧してきたことか・・・。
“常識” というどこかで勝手に作られた“見せ掛けの合意”に我々を適応させられてはいませんか…私たちは。
  普通とは違う・・・。 
  一般的じゃない・・・。
  段階が人と違う・・・。
こういった言葉で個人を縛り、それに適応や服従を迫られていることに無気力にさえなっていると思います。
環境から影響を受けてばかりの人生ではないことは誰にでも分かることでしょう。 環境に影響を与える・・・ 人間が環境に与える影響の多くは、実はより多くの生存的(建設的)な要素がたっぷり含まれているのです。
人間が環境に与える影響が、悪いものばかりのように言われたりもしますが、決してそんなことはありません。 極一部にはそういうことがあることも事実ですが、決してそればっかり・・・でないことも認識し、環境に良い影響を与えることをしていきましょう。
“教授” は間違っていた、と今、はっきりと確信しています。
大学なんてそんなもんですね。。。
何に対しても 「起因であり続けようとする意欲」 これこそ幸福に向かう道筋です。


小倉 謙
2012年2月12日 ·
グループ(国と置き換えてもいいでしょう)が衰退する理由…
 グループを構成する個人が為すグループに対する貢献よりを越える貢献をグループが個人に為すとき…。
 つまり、グループにぶら下がっている連中が多くなったときということです。

小倉 謙
2012年2月12日 ·
日本はこの先復活するために必要な条件…。 多くの国民(少なくとも80%以上)が下記のような意思を持っていれば、必ず復活することが出来ます。
 ・ 子供手当て、地域振興券等の「ばら撒き政策」に迎合しない。
 ・ 将来(それが老後であっても)自助自立を基調として生きていく意思を持っている。
 ・ 勤勉であることを美徳と感じ、良いものをたくさん生産することを誇りに思っている。
 ・ カネでは測れない価値を重んじることができる。
 ・ 正直さや誠実さこそ日本人として世界に誇れる能力であると自負している。
 ・ 利己的にならない。 しかし豊かであることを否定しない。


小倉 謙
2012年2月12日 ·
薬物に…
今日も一人惑星的規模の財産が薬物によって命を奪われました。
ホイットニー・ヒューストンさん…。
薬物に染まった文化によって、人間の精神的価値がどんどんとおとしめられ続け、この地球上のある一部は完全に薬物のコントロール下に入ってしまいました。
薬物に関して間違いなく言えることは、それがどんなに効果があると宣伝されようと、どんなに危険はないと言われようと、人間の歴史に於いて、薬物によって個人及び社会に幸福がもたらされたことはなく、人間としての本来的な生存を脅かされ続けてきました。
薬物は常に嘘とともにしか存在し得ません。
その嘘とは単に売人が「口にする嘘」だけでありません。
薬物は姿を変えて忍び寄って来ます。
薬物は名前を変えて忍び寄って来ます。
薬物は「治療のための薬(医薬品)」を装って忍び寄って来ます。
薬物は「国が認めたもの」として忍び寄って来ます。
しかし、いずれであってもあなたを、私を、家族を、友達を幸せにすることはありませんし、多くの場合で困難や混沌の度合いを深めていきます。
薬物とは、人類にとって無用・不要なもの… というのが共通の答えとなります。

小倉 謙
2012年2月12日 ·
先日会社帰りに飲酒運転の検問に出くわしました。
私は酒を一切飲みませんので問題にはなりませんが、検問を行うということはいまだに飲酒運転が絶えることがない…ということを痛感しました。
飲酒運転の撲滅キャンペーンは非常に効果があったと思います。…
10年前には1万人に迫ろうかとう交通事故死亡者は4千人台にまで減りました。 半減です! また、交通事故件数も100万件近くあったものが70万件台にまで減っています。 もちちろん飲酒運転の撲滅だけが寄与した数字ではないと思いますが、非常に大きな効力を発揮しているといえます。
人が何かの問題に直面した時、その解決策を講じるためには「真の原因」に向かわなくてはなりません。 「真の原因」から逸れる度合いに応じて、その努力はむなしい結果として現れることとなります。 まさに「無駄な努力」です。
「真の原因」たる存在は、真の原因から世間の目を逸らせようとします。 「俺が原因じゃあない。原因はアレだ!」 とか、 「新たな原因が発見された!」 とかなんとか…。
これを見極めるには、事実をしっかりと観察していくことが大事です。
真実を反映した統計を使い、実情を五感を駆使して観察し、真実のデータとする。
決して、「専門家がそう言っているから」 とか 「それが常識だろう」 で片づけてはいけません。 警察行政がもっと早く「飲酒運転が交通事故の主要な原因となっている」ということに直面していれば、失われずに済んだ命も多々あったことでしょう。
とはいえ、業界の反対を押し切り、真の原因の排除に取り組んだ日本の警察は素晴らしいと思います。
高い道徳心、高潔さ、正直さがあればあるほど、真の原因に取り組めるというものです。


小倉 謙
2012年2月11日 ·
学校の勉強というと… 国語・数学(算数)・理科・社会・・・・・・。 特に塾では・・・・・・。 特に受験では・・・・・・。
でもね、そうした知識を得ても、それを理性に基づいて生存的な方向に向かうために使うことが出来なくては無駄な知識となったり、破壊的な知識となります。
国・数・理・社 を学ぶ前に、道徳や倫理(人倫の道)というものを学び、それら実践できるレベルにまで引き上げる教育してあげなくてはいけません。


小倉 謙
2012年2月11日 ·
福祉の必要性は感じる・・・ しかし、福祉政策の実現として提供される施策が解決策となっていないことが多すぎるように思えてならない。また、最近の福祉政策は行き過ぎている感じがする。
福祉・・・とは本来幸福を意味する言葉です。 しかし、幸福の実現のために政府がやることと言えば、結局のところ「予算」でしかない。
カネが幸福をもたらすか?
人が最も幸福と感じるときはなんなのか・・・
私なら、幸福と感じるのは以下のようなときである。
 ・ 人の役に立てたとき
 ・ 目標を達成した(やるべきことをやった)とき
 ・ 自己決断が出来ているとき
 ・ 自己決断が全体決定となったとき
 ・ 仲間が何か生存的なことに成功したとき
 ・ 未来を想像し、その想像どおりに創造できたとき
助けられるだけの自分を幸福とは思えません。もちろん幾多の人々の支援の上に人生があるというのも事実ですが、その支援と同じレベルかそれ以上の支援を人々にもたらすことが出来ていないと、単にぶら下がって生きているだけにしか感じず、幸福ではありません。
助ける・・・これは人が本来的に持っている衝動です。しかし、これを刺激して過剰な支援と解決策にならない施策に手を貸すのはどうもいただけません。
医療が発達した・・・といえども患者は減らず
施設が充実したと・・・いえども、認知症の老人が社会復帰できず
予算が倍増・・・しても困窮者は減らず
やはり施策が誤っていると思うし、これ以上間違った施策にカネを投じて欲しくない。


小倉 謙
2012年2月11日 ·
最近、面接をやっていて思うこと…。
無目的の大学院生よりも、目的を明確に持った高校生の方が良い。
面接や会社訪問を無連絡でばっくれる若者…。 なぜか大学生や大学院生が多い…。


小倉 謙
2012年2月11日 ·
「もしも、 もしも、」 にエネルギーを割きすぎやしませんか
この地球上には物凄い量の 「危機や脅威」 が存在し、私たちは常にその危険性にさらされている…と言われています。
本当でしょうか?
 テロ
 戦争
 新たな病原体(新型ウィルス)の出現
 経済破綻
 事故
 政治の混乱
 などなど、、、、、
例えば、北朝鮮が脅威である・・・なんて私は微塵も思いません。もはや国としては“死につつある”状態” に達しているわけですし、戦争遂行に必要な資金などありません。この脅威はマスコミや軍(防衛)関係者によって作られた“架空の有事”であると言わざるを得ません。
新型インフルエンザもしかりです…豚インフルエンザを見れば、N1H1(これ以上ないほどの弱毒性)の意味も知らずに、危ない危ないといっていた3年前…あれはいったいなんだったのでしょう。
危機や脅威を捏造することで儲けている連中の意図というのは極めて危険であるといわざるを得ません。
また、そうした意図の発信元が実は “極限られた存在” であるというのも興味深いところです。
「危ない、危ない」 といって、未来の創造のためのエネルギーを削いでまで、国防費・治安維持費・社会保障関連費に巨費を投じさせるている昨今の各国の姿勢…おかしいと思います。
(原発については、現存する問題として危険な環境と認識しています)


小倉 謙
2012年2月11日 ·
言い訳を吐いていたり、誰かを非難したり、愚痴っていても元気にはなれません。残念ながら…。 もちろん、幸福にもなれません。
元気でいたいなら・・・
 「元気でいる自分…という理想の光景を得よう」
 「正しい知識を身につけよう」
 「元気でいるために必要なあらゆることしよう(努力と責任)」
ただ、それをやり抜くだけ!


小倉 謙
2012年2月11日 ·
「生きている人で、再出発できないひとなどいません」
大きな困難の前に、気力をなくしている人もたくさんいるようですが、それでもなお、希望はあり、何か打つ手はあるものです。
世の中捨てたモンじゃない! そう思うのも自分次第!です。
安心を作るのも自分です
安全を作るのも自分です
幸福にするのも自分です
成長させるのも自分です
その逆もまたしかり…。
再出発してみせるぞ! という決意と行動さえあれば必ず未来を切り開けるものです。
今からでも遅くない・・・ その荒んだ気持ちを捨て、より生存に向かう自分にシフトしましょう。
それは私もあなたも、お爺ちゃんもお婆ちゃんも、お兄ちゃんもお姉ちゃんも…。 同じです。


小倉 謙
2012年2月10日 ·
人に頼られることを苦痛に思ったり、面倒に思うことはほとんどありません。
むしろ頼られなくなった自分を思うと恐ろしささえ感じます。
自分のためになることも重要ですが、他人のために何かすることも同じくらい大事です。
そのように信頼できると人に頼ることも簡単になってゆく。
頼り頼られ、助け助けられ、 この輪が大きくなった社会が「発展した社会」というものなのでしょう。


小倉 謙
2012年2月9日 ·
自信がある…。  自分はかなりメンタルが強いと…。
へこたれない、くじけない、深刻にならない、貫きとおす、でもって友達はたくさんいる。


小倉 謙
2012年2月9日 ·
正しいことにお金を使える確信があれば、お金をもらうことになんの躊躇や疑いもなくなるでしょう。
これはお金だけに関して言えることではありません。
人を正しくコントロールできる自分だからこそ沢山の友人が得られ、時間を正しく使えるから沢山の時間が得られる…。
より生存的で、より建設的で、より道徳的なところに向けて、お金やエネルギーを流すこと…。
ただ、それだけです。
蓄えるだけだったり、非生存的…、破壊的…、不道徳… こんなところにお金を流すことは良い結果にならないのは当然です。
それは個人に於いても、国家に於いても同じです。


小倉 謙
2012年2月8日 ·
いつの頃からか、仕事を計測するための主要なスケールが「時間」となってきました。
本来、仕事とは「生産物(財)」を生み出す活動ですから、大事なことは「いかに他の人々の役にたつもの(こと)を、いかに多く生む出したか…」ということが主要なスケールになっていなくてはならないはずです。
しかし、労働諸法規などにおいても、時間というスケールで計られていることがほとんどです。
報酬はより多くの生産財をもたらした人に多く与えられるべきで、どれだけ特定の活動に時間を費やしたかで評価されるべきではありません。
時間で仕事が決められるようになって以来、人間の働く能力はどんどん落ちてきている感が否めません。
本来人間は仕事をしたいのです。
子供の頃に描いた夢の多くは「職業=仕事」に関することだったと思います。 政治家になろう、パイロットになろう、医者になろう、科学者になろう、プロ野球選手になろう・・・・・などなど。
仕事をしている人ほど自分の「位置」をしっかりと認識でき、幸福感に溢れ、充実した人生を送っているというのは、ほぼ事実だと思います。
仕事がない不安に比べれば、仕事が多過ぎる文句というのは精神衛生的にははるかに贅沢なものです。
もっと、もっと、仕事をしましょう。
その方が幸せになれるから・・・。


小倉 謙
2012年2月8日 ·
“問題”(Probrem, trouble) を解決しようとする際、問題の起きた理由を探しますね。
その問題の理由が自分に近ければ近いほど解決はしやすくなります。何故ならコントロールが及びやすいからです。
最近、やたらと問題を外に求める傾向が強く感じます。 (特にマスコミなど)
自分のコントロールの及ばないところに問題が生じていると、人は圧倒されたり無気力になってしまい、問題の解決とはほど遠い状況になってしまいます。
ところが、より近いところにある問題は得てして「自分にとって不都合・・・」と感じることも少なくありません。ぶっちゃけ、身近な問題ほど見たくないものです。
 約束を守らなかった、
 少額であれ人の金に手をつけた、
 いけないと分かっていて深酒をしてしまった、
 関係を持つべきでない相手と性的関係を持った、
 人を抑圧してしまった、
 我が子を殴った、
 キセル乗車をした、
 合意していないのに、合意した振りをした
etc………見たくない、どうでもいいことにしたい ・・・ そんな事実ですね。
私を含め多くの人々が経験していることではありますが、決して良い行いではなく、実のところ正当化できる理由もありません。
これらの記憶は忘れようとしても決して忘れられるものではありません。これらを忘れようと決断すると・・・ボケが始まるかもしれません。しかし、ボケを治すと記憶は復活するという事実からすると、どうやら人間の記憶を消去することは困難なようです。
多くの人はこのような身近な問題を決して良いとは思っていません。
これがまさに「理性」「倫理」といわれる部分で、これの大小が個人を正気に保つか狂気へと落とすかを決める要素となります。
自らの「理性」や「倫理」に正直に従う・・・・・これこそ重要なことであり、理性や倫理はこれ以上の悪行や不品行を行わないという決断、かつての悪行や不品行を償うということで、かなり回復するものです。
理性と倫理に従う人生・・・・・縛られるものがなく、自由を感じます。
問題の所在・・・・・殆どの場合は「自らの思考と行い」にあるということです。 
理性と倫理・・・・・これは正気な人間しか持ち得ない贅沢なものです。


小倉 謙
2012年2月8日 ·
怒っている人と、勇気ある人 … しばしば混同されますが、全く異質のものです。
「怒り(敵対)」というものの本質は「恐れ」から来るものです。
本当に恐れている人は、無気力や悲嘆に暮れることでしょう。 「怒り(敵対)」というのは、それよりほんのちょっとだけ恐れていない状態であるといえるでしょう。ですから、むしろ勇気のない状態…ということができるでしょう。
自らのこと、自らの組織内の事実に対して、直面することさえ出来ない程度の「勇気」を勇気とは言いません。 また、そういう人ほど「外敵」を作り出し、自らの問題に直面しようとしないようです。
問題は常に他人によって起される・・・そんな風に思って怒っているようでは問題は決して解決しませんね。


小倉 謙
2012年2月7日 ·
万一に備える – …
信頼感のない、不誠実な社会になればなるほど、自分の能力が低く感じられれば感じられるほど、万一に備えることに注力しなくてはなりません。
万一に備える…。僅かにでも不安に感じるありとあらゆるリスクに目を向けなくてはならず、今の生存を危うくしてまでも、万に一つの可能性に備えなくてはならないのです。
何が起きても圧倒的に生存することのできる能力を持つこと、その能力を完全に信頼できる自分で居ること。そして、他人のそうした能力に信頼を与えること…。こうした状況の人は「万一」に注意を向ける必要さえなく、ひたすらゴールや目的に向かって一直線に突き進めむために、今を全力で生きることが出来ます。
多くの方はそうした人生を望まれているはずです。


小倉 謙
2012年2月7日 ·
不況からの脱出や災害復興促進のためには雇用が大事…。 それはその通りです。
しかし、労働(経済)政策立案者は本当に心の底からそう思っているのでしょうか?
思っているなら雇用する側に異常とも思える負担を強いてくるのでしょうか?

たとえば、社会保険料。 事業主側も半額を負担しています。
当然、これは売り上げから拠出されるものなのですが、20人雇っている企業だと月60~70万円の拠出となります。 このお金で何人雇えるでしょう?
これがどれほど、経済の成長を阻害しているか容易に分かることでしょう。
「雇え、雇え」とはいいますが、雇うなら健保・年金の半額は企業負担。 労災・雇用はほとんど企業負担。 最低賃金はいくらだ。 これ以上働かせてはいけない。 割増賃金はいくらだ。 健康診断は企業側の負担だ、 etc…
ブレーキとアクセルを同時に踏んでいるようなものです。
企業にはお金があり、個人にはお金がない…。 だから、企業にたかる…。 企業に任せる…。  この魂胆が見え見えです。
企業は金儲けのためにあるのではありませんが、 生産と交換を通じて得たお金を、再生産に回すことが出来ないということは組織(グループ)の存続にとって最も大きな問題となります。 生産の源は 「人」 であり、人のいない企業など存在しません。 人を組織に向かい入れ、必要な生産を上げられる人に育て、以って他人や社会が必要とするものを作り、交換対価を得て、それを次の生産に使う…。
個人は善で、企業は悪 … というような概念を刷り込みながら、企業が「はい分かりました。 仕方ありませんが協力させていただきます」 と言わせるような雰囲気を作ってゴリ押ししてくる…。
税と社会保障の一体改革…などとは言っていますが、要は個人に負担を求め、企業にさらなる負担を求め… という政策です。
なぜ、医療費は原則全額個人負担 (重篤度に応じて健康保険の段階的適用あり)、 年金はこの先40年かけて廃止し、年金保険料相当額については非課税(所得控除対象)で個人の積み立てを認める・・・ としないのか。
もう、こうした「抜本的改革」が必要な時期であることは、多くの方がうすうす気が付いているはずです。   


小倉 謙
2012年2月6日 ·
外注(アウトソーシング)が悪いわけじゃない。
派遣が悪いわけじゃない。
リストラが悪いわけじゃない。
アルバイトが悪いわけじゃない。
でも、企業の知識や文化を永く伝え、それを発展させてていくためには、ガッチリと腕を組んだグループメンバーが必要なんです。
だから私は正社員にこだわります。


小倉 謙
2012年2月6日 ·
仕事と子供 – 子供が仕事をすることが「悪」のように考えられています。
勿論、子供の成長が止まるような過酷な役務を課したり、必要な教育の機会が奪われるようなことはあってはならないし、ましてや人身売買の対象としたり「子供兵士」や「児童売春」というような憂き目に会わせてはいけません。
しかし、仕事をすることそれ自体は子供の成長にとっては非常に有益であることが多いと言えます。
仕事をすることで必要な知識がなんであり、知識の修得のための目的ができます。
また、仕事を通じて他人に貢献することができることで、自分の価値を自覚することができます。
副産物としてその子はお金を得ることができ、親を助けることもできるというオマケまでついてきます。
面接などを通じて昨今の若者を見ていて、ただただ学校に通って知識のインプットに勤しんできた子達ほど、無気力感や希望がない、というような印象が共通して感じられます。
仕事…これは人間だからこそ持てるものであり、人間が凄いのは人間はその仕事をかなり自由に作り出すことができる…ということです。
子供とて仕事をすることはでき、仕事を作り出すことができます。
子供が大人と違う点とは単に身体が小さいというくらいでしょう。
お手伝いをする
お使いをする
お当番をする
お店番をする
下の子の面倒をみる
これらは立派な仕事です。身体の大小を考慮に入れさえすれば、かなり上手にやってのけることができます。
学校や塾で血走った目で知識の詰め込むことが教育であり、それこそが子供の将来のためになる… というような合意はそろそろ改めなくてはなりません。
あらゆる知識は使われ、人々の向上に資する度合いに応じて価値があるのです。
まさに仕事で役立つ知識を仕事を通じて学べたなら、大きな武器となるでしょう。

小倉 謙
2012年2月5日 ·
経済の専門家(大学教授、評論家、エコノミスト、アナリスト)と言われる人は多々いらっしゃいますが、概ね見ている方向は「消費」と「カネ」からの視点です。
消費喚起、可処分所得云々と…。
忘れていませんか?
人間にはゼロからなにかを生み出せる「創造力」という無限のパワーがあることを! そして、あらゆる消費活動はこの「創造」のためにあるということを…。


小倉 謙
2012年2月5日 ·
助ける人の数が限られている状況の中で、誰から助けるべきか…。
助けられそうな人から助ける。ぶっちゃけ手に負えないと思った人は後回しにする。
これが救助の鉄則です。これを守らないと、助けが無駄になったり、助けられたはずの人が助からなかったり、助ける側がいっぱいいっぱいになってしまうから…。
そして、もし自分が助けられる側の立場ならどうすべきか…。
最期の一息の時まで、助けられるに相応しい自分で居続けることです。


小倉 謙
2012年2月5日 ·
福祉国家…多くの人がこの言葉にユートピアとしての幻想を抱かされています。
福祉国家とは不幸なればなるほど、援助に授かれる国家、と言えます。
故に、幸福追求のために自らの責任や行動をそこに向けていて、他の人々を助けている人たちが居なくなったら、その国家はゲームオーバーです。
福祉国会…は聞こえは良いですが、この国家の存続は実に危うく、非生存的であす。
福祉国家とは、生き甲斐がなく、極めて住みにくい社会…とも言えます。


小倉 謙
2012年2月5日 ·
自分が自分を大好きでいることが大事なのは言うまでもありません。
自分が自分にとって最高の友達でいるべきです。
そして、同時に家族や友達や周囲の人々も、同じくらい好きで居られたら最高ですね。
こうした人々で溢れかえっていたら、犯罪や戦争など無縁の社会となるでしょうし、信頼と安心に基づく理想郷となるでしょう。


小倉 謙
2012年2月5日 ·
連帯感の強い組織は本当に良い生産性を挙げます。 そういう意味ではファミリービジネスというのは実は良いことなんでしょう。
でも、アメリカ型経営…なんていうのが入ってきて、一生懸命日本が得意としてきた頑強な「ファミリー型ビジネス」を潰してきた。
終身雇用を否定し、 外注化や非正規雇用を是とし、 経営と所有の分離を促進させ、 創業家を追い出し、 顧客利益より株主利益を優先させることで企業価値を下げてきた。
そうした企業の中に残るのは、創業者の意を知らず、連帯感の薄い、チームの一員としての教育が十分にされていない、 株主に媚びへつらう だけの役員や社員による、弱体化された組織です。
日本でも頑強な会社の多くは、いまだに創業家が残って舵取りをしています。
日本の頑強な組織体制をことのほか恐れたのでしょう、アメリカの一部の企業家は…。


小倉 謙
2012年2月4日 ·
一か月で150万円の報酬(日給5万円)を払うから、明日から一年間毎日8時間、ここに穴を掘ってはそれを埋め、また穴を掘ってはそれを埋める・・・・・というだけの仕事をせよ! と言われたとします。
果たして何人の人が1年間続けることが出来るでしょう?
人は生存的(建設的)な目的に寄与することがない…と感じることを継続することは極めて困難です。上記の仕事に取り組んだ人のうち、もしかしたら1~2%くらいは自殺するかもしれません。
人生の目的がカネだけ・・・という人はそうはいるものではありません。つまり、殆どの人は決して金だけが動機になるということはありません。
これが正気な人でしょう。
それくらいに、人間は何かに貢献することで満足を得ることのできる存在です。
自らの想像力を働かせ、創造力で切り拓く!
これこそが人間です。
まずは、人生の目的を創造するかどうか・・・・・ そしてそれをやるかやらないか・・・・・です。


小倉 謙
2012年2月3日 ·
「理想の光景」を得る、ということは大いなる価値があります。
問題とは理想と現実とのギャップ…と言えますから理想がなければ問題という概念さえなくなってしまいます。
そうした人生にあっては、起きている出来事をただ受け入れるだけの人生になります。
理想とは状況の中にある問題(生存にとって破壊的な要素)を発見し、それを改善するための原動力です。
大いに理想を語り、更に大きな理想を得ましょうよ!


小倉 謙
2012年2月2日 ·
いつも「政府は何をやっているんだ」と言っている人がいます。
(テレビの司会者やコメンテーターなどはその典型)
「官依存症」罹った国民が増えれば増えるほど、行政は肥大化し、歳出は増え、歳入は先細るのは当然です。
「国はなにもしてくれない」 「行政の対応は遅い」 などなどという、国民の代弁者の振りをした抽象的な声(主にマスコミ)に翻弄されることなく、今私は何が出来るのか、何をすべきなのかを考え、行動する国民が大多数を占める国家になる程度に応じて、国家の財政は秩序を取り戻し、様々な問題に対する取り組みもより効果を示すこととなるでしょう。
完全な依存症とは、ある対象となる物事に対して、完全に無責任になった状態のことであり、実に不幸な状態です。
責任を担うというのは一見大変なことのように見えるかもしれませんが、生存的なものに責任を担える程度に応じて人生は充実してきます。


小倉 謙
2012年2月2日 ·
他人のせいにしているうちは、問題は解決しないんだろ〜な。
自分の人生に起きている出来事は自分が居るからこそ起きている。
自分が問題の起因に立てるほど問題は解決されていく。
これは誰しもに共通する法則なのでしょう。


小倉 謙
2012年2月1日 ·
議員や官僚に対する風当たりが強いですが、私が個人的に知っている方々はやはり有能であり、正気であり、非常に行動力のある方が多いです。
ですが、そうした方々の有能さや正直さが、なぜ政治という場で発揮されないのか、行政という場で発揮されないのか・・・ 非常に不思議に思うところです。
やはり、極一部ではあるものの、非常に強大な権限や財力を有する人々がいて、そうした人々の意図に乗っからざるを得ない状況が作られているのでしょうか…?
それとも私の人を見る目がないのか…?
とにもかくにも、私たちの社会に於いては、彼らはリーダーたる存在です。
有能で正気な人々はその中に必ず居ますから、そうした彼らを支援することも大事です。


小倉 謙
2012年2月1日 ·
個人が倫理的かつ道徳的な社会であるほど、そしてその倫理的かつ道徳的な意思が多方面に及んでいる社会ほど生存的であり、繁栄し、最多数の幸福がもたらされる社会である。
…と、私は確信しています。

小倉 謙
2012年2月1日 ·
本屋に行くと「会話術」に関する本をよく目にします。
でも、自分の考えがまとまっていない人や、相手の考えを理解することが出来ない人が会話術を習得したところで、それは音という粒子のやり取りが行われるだけで、肝心な「考え」のやり取りは出来ません。
理解し、理解してもらうため…というコミュニケーションが起きないと、実に形式的で、表面的で、薄っぺらなやり取りになってしまいます。
「会話術」も大事ですが、それよりも以前に 「考え をやり取りする」ということに対する理解が大事なのでは…と思います。
特に国会の質問や答弁を見ていて…。


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