当たり前を変える勇気=社会を正す勇気

 

投稿にあるような事柄に、気付く方は少ないです。 大勢は気付かずに死んでいきます。
私は幸せなことに、社会の常識という誤りに気付きました。


気付いた人は、客観的に自己否定ができる人です。気付かない人は、自己肯定が多い方です。
気付く人は、アイデンティティが確立できている人です。気付かない人は、アイデンティティが確立できていない人です。


私は客観的に自己否定ができる勇気があり、なぜ生まれ、なぜ生きているのか、何のために仕事をしているのかをきちんと答えられるアイデンティティが確立できています。

~本文ここから~
当たり前を疑うこと
当たり前を変える勇気。

がんの罹患数が100万人突破した、というニュースを見かけた。

私たちを取り巻く環境は日々、変わり
高齢化社会もすすみ、さらに周りにがんは増えていくんだろうなぁ。と感じる。

「気にしていたら何も食べられなくなる」
「何事もほどほどに。」

そういうことを言う方が、いる。

巷では放射性物質を気にする人を「放射脳」とよんだり、添加物を気にする人を馬鹿扱いしてみたり、或いは、オーガニックをまるで宗教かのように扱う情報があったりする。

どうしてなんだろうね?

そういうものをみるたびに、自分は間違っているのか、…気にしすぎか…と、動揺する人もいるんじゃないかな

そういうものの実体って何なんだろう?
それらの裏側には、何があるんだろう?
そんなことをしてなんの得になるんだろうか?

そして、それらの情報を発信している人(あるいは実体)たちは、
はたして本当にわたしたちの健康や体の安全について考えでくれているのだろうか?
その情報はあなたを守ってくれるんだろうか?

考えたことはありますでしょうか。

マジョリティ【多数派】の意見をきいたら、確かめもせずまるで自分の意見のように思い込んでしまう傾向にある日本人

マイノリティ【少数派】をかっこわるいと捉えがちな日本人

長年築き上げられた国民性なのかしら

でも、おぼえておきたい。
その習性を、逆手にとられてしまう場合もあるのだということを。

どんな時代においても、国民にためされるのは取捨選択する力だった

これからも、それはずっと、変わらない
むしろもっと険しくなっていくかもしれない

弱肉強食の情報化社会、ということかもしれない。

不確かな情報はいつも出回るし、いつもそれを鵜呑みにする人たちは、何処にでもいるし、それはきっとなくならない。もっとふえてゆく

だから、いかに気づける体制を築くか

じゃあ、
私たちにいま必要なことってなんだろうね?

それは、当たり前をうたがい、
当たり前だと思い込んできた習慣を変えてみることなのかもしれない

多くの、当たり前を変える勇気。

それが、ちいさな、でも、集まれば大きな変化につながるのだと、おもう。


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