泉田知事の功績

おはようございます。9月5日(月)です。
今日のブログはフリーです。フリーの時はなるべく早く記載したい記事を書き込むことにしています。

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泉田知事が出馬をしないと発表しました。
政府の在り方に、理論を持って発言をする数少ない方でした。
次の新潟知事候補は原発推進派です。

この記事は、福島の方が被爆手帳をもらえないということへの記事です。
良く読んでもらえばわかりますが、下の記事は大変重要です。
政府の国民への基本的な考え方が表れています。

また、おまけとして最後に内海先生の記事も載せてあります。
少々、長いですがこれも重要だと感じています。
我々の「あり方」が問われています。

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1mSv を、理解する。

くだんの1mSvであるが、
「広島原爆の被爆者手帳をもらえる人が1mSv」
という泉田知事の言い回しがある。

これが、広島原爆の3.5Km以内で直接被爆した人。
(厚生省の解釈。被爆者手帳の交付基準。)

ということらしく、え、そんなせんと(ピカドン目視)、1mSvにならんの?
くらい凄まじい。(この言い回しについては、直接被爆以外に、入市被爆(その場にいなかったが、後日入市して被爆)、救援被爆(救援のために入って被爆)といった、間接被爆の方々も多いため、直接被爆以外の詳細は省く。ここに詳細議論(複雑)がある。この事情から泉田知事の言い回しは、正確でないとされている。
http://blog.goo.ne.jp/fl…/e/3a96bb94aac60c5ad3467f3dbe5eb115
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被爆者手帳というのは、もらえると、ほとんどすべての医療費が無料となる。福島では、そもそも、放射能被曝による健康障害を国が認めておらず(たとえ甲状腺癌になった子供でも)交付されていない(被爆由来であるとは認められていない。2016年8月現在)。

で、現行の20mSvというのは、どんなや???

ということになる。

細かい話は抜きにして、1mSvの20倍の被曝線量であるから、
放射線量(電磁波の強さ)は、距離の2乗に反比例するという基本に鑑みれば、ルート20倍は近くないといけない。(”ルート20”でググれば、4.47と出てくる。)

要は、何を言っているかといえば、
福島で、ピカドンが来たとしたら、
3.5Kmの4.47倍近くで、直接被爆したら、
被爆(広島では1mSv相当)と認めたるわ。(福島ではそれが、どういうわけか、いつの間にやら20mSv(/年)となっているのである。)

と言われているのである。

つまり、福島の皆さんは、1Km以内の至近(正確には782m)で、ピカドン直接被爆してもええのんや(正確には、年一回ずつ毎年)ということである。

えらい丈夫やと思われようが、広島・長崎との一貫性を保てば、そのような解釈となるのである。(泉田知事は同じ日本国民でありながら、そのような一貫性が保たれていないと指摘しているのである。)

ちなみに下図のピンクの領域が、長崎の被爆者手帳の交付地域(これが1mSv相当)を示したものである。

その外側でも被爆による健康障害が認められていくが、どれくらいの時間がかかるのかがよくわかる分布図となっている。
(概ね20年刻みで、4区域3種に被爆による健康障害が認められた。)

福島では未だ、ピンクの領域(被爆健康障害を認定し医療費負担をなくす)さえ示されず、その20倍の被爆量をオッケーよとして、帰還推奨されているのである。

もちろん600トンのウラン核燃料コリウム(溶融ウラン核燃料が溶け落ち、デブリとなったもの)が行方不明のフクシマダイイチ原発は、ゆっくりと爆発(放射能物質を海に、土壌に、大気に拡散)し続けている。
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「内海聡先生の記事より」

泉田知事不出馬についての雑感(長いが)

私が原発反対の放射能危険論者であるため、この情報が日々流れてくるが、前々から書いているように私は政治家に微塵も期待したことがないので、泉田知事が不出馬だろうがどっちでもいい次第である。しかし今回の騒動では別の問題の方が重要だろうと思うので、それについての雑感を書いてみたい。おそらく原発反対の多くの人とは意見が違うだろうが、それはそれで構わないと思う。また、このネタは多いので、これくらいでアカウントは消えないだろうし。

事の流れをごく簡単に書くならば、出馬していたのを撤退し、その理由は表向きには、新潟県が出資する第三セクターの子会社によるフェリーの購入をめぐって、偏向した批判的報道が原因となっている。泉田知事本人が声明の中で「新潟日報社が発行する県紙の「新潟日報」で「憶測記事や事実に反する報道が続いた」、「このような環境の中では十分に訴えを県民に届けることは難しい」と述べている。

まずこれを意味不明と思うのが、自称覚醒者の大多数の発想であろう。確かに地方新聞ごときで何が動くのか、もともとネットを中心に世論を固めてきたのが反体制派であり、知事に真の意味でやる気があれば地方新聞の嘘を打破するため、出馬を維持すると考えるのが人情である。しかし現実は違う方向に進んでおり、脅しだ圧力だいろんな噂が出ている。所詮ネットだしその辺で右往左往するのがいいと思うし、そこが外れているわけではない。

しかし今回の問題で本質はそこではないだろう。もともと自殺うんたらと知事は語り、命はある程度かけてきたはずである。それよりこの泉田知事を応援してきた反原発の人々、この対応と態度がすこぶる酷く悪すぎるほうが、知事以前に反原発とか社会を変えるとかいう点では、よほど問題である。このままいくと、原発推進派知事候補がそのまま通ることになるので、いやだと思う人が多いのはわかるが、それこそが本末転倒の極みであろう。

まずは出来レースの極みである。泉田氏出馬撤回と同じタイミングで、原発推進派の知事出馬が決まっているが、これは出来レースであることを意味する。泉田知事は出来レースには入っていないと思う自称覚醒者の、勘違いぶりはすさまじいものがある。でも本質はここにさえない。本質は理由が何であれ、泉田知事が出馬を自分自身で撤回したということにある。理由は何であろうがこれは関係ないのだ。脅しだから撤回したというならそれでもいい。

自分や家族の命はとても大切なものだし、それは裏の理由になりうる。脅しにかけられたのではと書き込むネット市民と反原発派が、いかに無責任が極まっているか、これだけでもお笑いに値する。しかしもっと問題は泉田知事は素晴らしかった、頑張ってくれたという自称覚醒者が、泉田知事にもう一度出馬してもらいたいという、依存と無責任の極みを堂々と社会変革であるかのように名乗ることである。泉田知事は理由は何であれ自分で決断だけはしたのだ。

泉田知事の三期は素晴らしかった、我々はろくに応援もしてこなかった、そんな見捨てていたも同然の泉田知事が不出馬に切り替えた、だから人々は応援するふりをして応援だ出馬の為に交渉だと、どこまで人間は自己中心的なのだろうか。ほんの少しでも恥があれば、絶対のこの行動は起こせない事である。この行動を起こしている人々とは結局のところ、自分では真の努力は絶対にしないが、泉田知事に責任を押し付ける輩に過ぎない。

これは本当に吐き気を通り越すほどに醜い。なぜなら泉田知事は理由は何であれ自分で出馬を撤回しているからだ。たとえそれが脅しであれ命の危険であれ他の理由であれ、ネットごときに載っている話の何があてになるだろう。それもてきとうに情報を調べた気になり、自分が出馬するわけでもなく自分がお金を出すわけでもなく、泉田知事応援してますよと言う嘘を振りまく自称反原発派が、いかに嘘つきかはもはや語るまでもあるまい。

本当に新潟の再稼働に反対であり、家族を守りたいのであれば自分が出馬すればいいことであり、誰か反原発派を出馬させ全身全霊を捧げればいいことである(もうできないが)。これが反原発派という嘘つきと体制派との圧倒的な差である。反原発派は正しい情報、心のありよう、健康や社会の在り方などを建前としながら、本心はそれを主題にはしておらず、その場だけで動き情報戦の意味も知らず、正しいしか興味がなく究極的なまでに依存症であることを、今回のことでも証明してしまったのだ(毎回だが)。

日本において反原発派や医療問題を指摘する人々、食やその他の問題を指摘する人々が、絶対に主流にならないのも誰も見ないのも、相手にされないのも自己満足なのも、絶対に負け続けるのも当然のことである。テレビの中では正義の味方は必ず勝つが、それはテレビが作ったからであり、悪の組織は常に前々から緻密に計画を練り統率され、正義の味方とやらはいつもいきあたりばったりで、自分たちが間違えたことは言っていないと勘違いしているだけだ。

つまり今回の泉田知事騒動は、参議院選挙から続いた日本のシステム管理の仕上げでもあり、絶対に反体制派が勝つことなど無理であることを証明したのである。反体制派とはどこまで行っても自分では何もせず、ネットで署名したら何かが動くと思っているレベルであり、自分ではリスクなど決して冒さない人々である。ネットで呼びかけしたら自分はリスクを冒していると思っているのだから、その思想のスバラシサには感嘆するよりない。

はっきり言うなら、泉田知事は意味不明な理由によって、市民を見捨てたといってもいい。しかしそれには見捨てる理由がある。知事撤回の後の行動にこそ見捨てるべき理由があるのだ。誰が先頭に立って危険を冒してきたものの行動を矯正しようというのか。まさに山本太郎を応援する日本人と同じである。「応援してます」という嘘つきに共通するのは、自分たちは真の意味での努力は決して行わず、自分は立候補もせず泉田知事を動かそうとする究極の偽善性なのである。

私は究極の欺瞞には付き合う気がおきない。日本人が思う反原発と私が思い描く反原発は、全く向いている方向が違っているのだ。


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